打越梨子 役者
♯9 RIKO UCHIKOSHI actress
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写真家・アミタマリが魅力的だと思う女性たちを、大空をバックに撮影するポートレイト・シリーズ。
アミタマリ/Mari Amita
1973年生まれ、山口県出身。専修大学文学部卒。
モデルを経て写真家・野村浩司氏に師事、2001年に独立。
2003年・宝島社の新聞広告で朝日広告賞グランプリを受賞。
数多くのミュージシャンのCDジャケットやポートレイトを手掛けるほか、
広告、カルチャー、ファッションを中心に活躍中。
www.amitamari.com
梨子ちゃんは#8のひろみちゃんの愛娘で、私は彼女がまだ幼稚園くらいの時から知っている。
くりりとした大きい目と、ぷっくりほっぺのとても元気な女の子だった。
そんな梨子ちゃんが20歳になるということで、先日彼女の成人式の写真をひろみちゃんから頼まれて撮影することになった。
着物姿の梨子ちゃんをファインダーに覗いた瞬間、十何年の記憶が走馬灯のように巡り、
思わず涙ぐんでしまった。
あんなに小さかったのに。
よく弟と喧嘩していたあの子が、こんなに線の細い美しい娘に成長するなんて。
本当にその姿は美しく、感動してしまったのだ。
そして、その2週間後。
ボウズになったから、私もママみたいに撮って!と連絡が。
撮影している映画の役で、ばっさり切ってしまったそうだ。
会ってみると、びっくりしたものの、あまりに似合っていて拍子抜けしてしまった(笑)。
彼女の瞳はとても澄んでいて、真っ直ぐで、でも色んなことを解っている。
自由に動いていいよ、と言った瞬間に生き生きするのがとても可愛いかった。
きっと彼女は色んなことにどんどん飛び込んで、チャレンジしていくのだろう。
大胆さと潔さと柔軟さを持ち合わせたこんな魅力的な女の子は、ちょっといない!!
Q1
A
Q2
A
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PROFILE
子供の頃、何になりたかったですか?
絵を描く何かがしたかったです!
幼馴染とコンビでお笑い芸人を目指してた時期もありました笑
これから、かなえたい夢はありますか?
20歳を迎えて。自分が小さい頃に思っていた大人像はもっとしっかりしてたけど、
こんなにたくさんの出会いや世界を経験して、いろんな感情を味わって、
自分の身を使って表現している、こんな素晴らしくて濃い未来が待ってるとは思わなかった。
また歳を重ねて自分の想像をはるかに超えれるように、アンテナはってワクワクする直感を信じて恐れず、
感謝を忘れず飛び込む、鮮やかな人間になりたいです!
NOTE
打越ひろみ Human Prayer with delight
♯8 HIROMI UCHIKOSHI Human Prayer with delight
子供の頃、何になりたかったですか?
幼心に感動したアニメやマンガにすぐに影響されて、
看護婦さん、スチュワーデスさん、新体操の選手、女優などバラエティーにとんでました!
これから、かなえたい夢はありますか?
世界中に喜びの種をまくこと。
この10年温め、自分なりに努力してきた音と光のハーモニクスの活動を愛するとちあきと共に2015年始動します。
この活動が何かしら世界平和に繋がると信じて!
ひろみちゃんとは家族ぐるみで随分前から仲良くさせてもらっている。
旦那さまの打越さんとも沢山仕事もしたし、ミラーボーラーというチームで何度も一緒にキャンプしたり、数々の旅を共にした。
底ぬけに明るく、テキパキと仕事をこなし、皆をあっという間にまとめてしまう猛獣使いのパワフル姉さん。
やればできる!とよくいっていたけれど、本当に家族4人で一年かけて世界一周してしまったくらい、やってしまう人なのだ。
彼女はとっても正義感が強い一方、心から平和というものについていつも真剣に考えている。
真の平和、というものを。
愛情がとても深く、優しくて、弱く傷つく人を守る勇気と強さを持っている。
そして人との絆や繋がりをこんなにも大事にする人は出会ったことがない。
私もひろみちゃんの愛情で深い悲しみから救ってもらった。
ひろみちゃんを撮影した時、この人は飛んで行ってしまうんじゃないかと思うほど、とても気持ちよさそうに羽ばたいていた。
彼女は撮影するのは初めてだったそうだが、こんなにもカメラの前で自由になれる人はなかなかいない。
彼女が大事にしているものを、撮りながら感じた。
いつも深い愛で包んでくれてありがとう。
ソウルシスターとして、これからもヨロシクね!
清水朱里 主婦 時々モデル
♯7 SYURI SHIMIZU housewife, model
私たちは昔、同じモデルエージェンシーに所属していることで知り合った。
初めて会った時は彼女はまだ高校生だったのだけれど、
どこまでも細くて長い手足とスレンダーな身体は今でもちっとも変わっていない。
このポートレイトシリーズでは、被写体の方には好きなスタイルで登場してもらうのだが、
朱里ちゃんには私の方からリクエストをしてしまった。
黒のタートルと真っ赤なリップで来てほしい、と。
15年ぶりとなる今回の撮影で、大人なった朱里ちゃんを撮りたかったのだ。
とても感性豊かで、ストレート。
情熱的だけど、とても冷静。
キリリとした表情に引き込まれ、真正面の潔い構図がとてもはまっていた。
若くあどけない頃も可愛かったけど、私は年と経験を積んだ今の朱里ちゃんが本当に綺麗だな、と思う。
それは、きっととびきりヤンチャな2人の息子達のお陰なのかも。
母は強く、頼もしい!
子供の頃、何になりたかったですか?
バレリーナ・宝塚・考古学者。
もし私がバレリーナだったら・・・今もたまに、妄想してしまいます。
これから、かなえたい夢はありますか?
文章を書く仕事がしたいです。
お着物を学び中で、このまま続けて達人になりたいです。
その他、色々勉強がしたいです。
あと、息子達が 夢を叶える姿を見れたら良いなあ。。。と思います。
yuLaLi ミュージシャン
♯6 yuLaLi musician
子供の頃、何になりたかったですか?
漫画家、デザイナー。
とにかく絵を描くのが好きでした。
これから、かなえたい夢はありますか?
自然体でいたい。
自然体で表現し続けたい。
運命のメッセージを受け入れて
私を支えてくれている人の為に
表現し続けたい。
ユラリちゃんとはbahashishi時代にCDジャケットの撮影で2回セッションしたことがある。
よく晴れた冬の九十九里浜で、とても気持ちよさそうに裸足で軽やかに踊っていたのを憶えている。
その後は夫の野村浩司が彼らのCDジャケットを手掛けることになり、
写真を通して夫婦で深くかかわらせてもらっていた。
主人の一周忌の写真展にも彼女の写真を展示していて、写真展会場で久しぶりの再会を喜び合い、この撮影につながった。
彼女はまさに今、大きなターニングポイントに立とうとしている。
自分が今、できること。
大切な人のために、音楽を作り、歌を唄い続けること。
そんな思いを撮影前に私に話してくれた。
一年前のちょうど今頃の自分に置かれた状況とどこか重なるところがあった。
いまこそ、本当の自分の力が試される時なのかもしれない。
彼女の祈りと、決意が強く感じられるような瞳に光が入ったとても美しい瞬間があった。
きっと、大丈夫!
そんな気がした。
今度葡萄をつまみながらワインを飲もうね、と女の約束も交わした晴れやかな一日。
内田 文郁 デザイナー
♯5 FUMIKA UCHIDA 「FUMIKA_UCHIDA」designer
Q1 子供の頃、何になりたかったですか?
A 男の子 洋服屋 が一番最初の夢でした。
Q2 これから、かなえたい夢はありますか?
A 着たいとかこう合わせたいとかではなく、
物としてただ単純に欲しいと思って頂ける服を創ること。
文郁さんとは彼女が経営するJANTIQUESに私が通うようになり、少しずつ話すようになった。
海外の蚤の市のような雰囲気が大好きで、文郁さんのファッションを見れるのも通う楽しみの一つでもあった。
とても丁寧で柔らかな印象だけれど、タフさも持ち合わせている。
健康的な小麦色の肌にざっくりとしたファッション。
ベーシックでユニセックス、だけどとてものびのびと女性を楽しんでいるような人だ。
そしてとても家族の繋がりを大切にしている。
それは彼女のとても大きな魅力になっていると思う。
そんな文郁さんが新しくブランドを立ち上げた。
誰よりもヴィンテージを愛する彼女にとってとても大きな挑戦なのだと思う。
彼女の素敵なこだわりをゼロから生み出す、彼女にしか創れないオリジナルへの、挑戦。
撮られるのは苦手、といってた文郁さんは最後にとびきりの眩しい笑顔を私に見せてくれた。
そうそう、我が家の駐車場はとても入れにくいのだけど、彼女は結構な長さがある車を、一発でさらりと入れてみせた。
その瞬間がなんとも格好良かったのだ!
オダマユミ 一児の母 ニット作家
#4 MAYUMI ODA knitter
同い年のまゆちんとはかれこれ20年以上の付き合いになる。
そんなにつるんでいたわけではないけれど、節目をいつも共に過ごしてきた気がする。
NY時代は、自炊の肉じゃがやおにぎり、50セントのTシャツで大喜び!
私が妊娠した時、アミタと一緒に子育てしたい!と言っていた彼女は、本当にすぐに妊娠し、同じ年の男の子を出産して、
文字通り一緒に励まし合いながら育児をすることになった。
3月11日の大震災の時も、たまたま彼女の家に遊びにいっていて、子供達を抱えて裸足で外へ逃げたのだ。
彼女は驚くほどシンプルな人間だ。
荷物もいつだってトランク一つだったし、余計なものを持たない。
無理もしないし、必要以上のものを求めない(ように見える)。
そのかわり、自分にとって本当に大切なことは貫き通している。
そんな生き方がどことなくパンキッシュで、彼女が編むニットにもそれを感じる。
彼女と話すと、本当に大事なことが何なのか、いつも教えてくれる。
どんな環境や運命にあっても自分らしく、笑顔でいられることが一番の幸せなのだ、と。
まゆちんの大好きなアップルパイ、また焼いて遊びにいくね!
Q1 子供の頃、何になりたかったですか?
A お母さん。
無事になれました笑
Q2 これから、かなえたい夢はありますか?
A 自転車で色んなところを旅したい!
先月は瀬戸内海を走ってきたので次は淡路島一周を目指します♪
アミタマリ 写真家
#3 MARI AMITA photographer
Q1 子供の頃、何になりたかったですか?
A なんだろう。あまり夢見がちな子供じゃなかったかも。
働く母を見て、キャリアウーマンになりたい!と思ったくらい(笑)。
Q2 これから、かなえたい夢はありますか?
A 写真を撮り続けることと、自分の写真で人を幸せにすること。
一番のおかあちゃんになること。
これは、かけっこで一番になった息子との約束。「おかあちゃんもいちばんになってね!」と。
大事な友達や、魅力的な人、人生の転機や節目に立っている人。
女性の持つ柔らかさ、儚さ、しなやかさ、強さ、潔さ。
そんな女性を、一人ひとり大事に撮っていきたいと思い、このportrait with sky は始まった。
大好きなあの人がいる、空に向かって。
2013年の9月。あまりに突然訪れた、愛する人の死。
どうしようもない深い悲しみを乗り越えるために、私は写真を撮り続けた。
そうすれば、私を写真の世界に導いてくれた、彼を感じることができたから。
いままでセルフポートレイトというものを撮ってこなかったが、初めて今の自分を写しておかないと、と思った。
彼と共に過ごした太陽スタジオを引っ越す最後の日、新たな出発。
強くなりたい。
そんな私を。
坂田かよ(さかた かよ)
#2 KAYO SAKATA DJ・104GALERIE Curator・たまぁにモデルで一児の母
Q 1 子供の頃、何になりたかったですか?
A お嫁さん。
あと自分で空を飛べる人になりたいと思って、小さい頃は、真剣に一人で飛ぶ研究をしていた。
その後、小学校高学年からはずっと、バスケットボールの実業団に入ってプレーするのが夢だった。
結局色々と夢が増えたり減ったりしても、「お嫁さん」ってのと「自分で空を飛べる人」ってのは、未だ 変わらずだったりします。w
Q2 これから、かなえたい夢はありますか?
A お嫁さん、自分で空を飛べる人。
死ぬ瞬間に、ただ「有り難う」と思える今を重ねてゆくこと。
日本国憲法第9条が永遠であること。
戦争の無い世界。
後ろみっつは「かなえたい夢」という表現だとちょっと違うか.....。
「かなえたい願い」ですかね。
かよちゃんの長く、真っ黒な髪の毛と真っ黒な瞳が、大好きだ。
彼女は動物的な直感でいつだって自分に正直に生きている。
多くを語らなくても解ってくれるし、大丈夫!と笑い飛ばしてくれる。
私たちは知り合ってから随分沢山の思い出を共有してきた。
沢山遊んだし、恋の話も夜な夜なしたし、友達や将来の相談も。
それから、辛いことや悲しいことも。
私が写真を始めてから、かよちゃんには何度も撮影させてもらっている。
久しぶりの今回の撮影で以前と違うのは、お互いに母親になったことだ。
深い母性を感じる、微笑み。
彼女の娘もとても綺麗で、真っ黒な瞳と、真っ直ぐなロングヘアーを受け継いでいる。
いつか親子のポートレイトも撮らせてね。
堀ノ内 晴子(ほりのうち はるこ)役者
#1 HARUKO HORINOUCH actress
Q 1 子供の頃、何になりたかったですか?
A 獣医さん。
一緒に暮らしていた犬を病院に連れて行った時に、処置してくれた先生の姿を見てから、
私も犬のお医者さんになりたいなぁと思っていました。
Q2 これから、かなえたい夢はありますか?
A 表現することを続けていけたら、と思ってます。
これまでは主に役者という表現が主でしたが、「こうでないといけない」概念やイメージに捕われずに、
私に出来る方法で表現することを続けていきたいです。
晴子ちゃん。
大阪で出会ってから15年。
おっとりした心地よい大阪弁とかわいい笑顔で、いつも私を迎えてくれる。
彼女から聞いた話でとても印象深い話が一つ。
彼女のおばあさまのこと。
おじいさまを亡くして悲しみにくれていたところに誘われていった沖縄がとても気に入り、
2泊3日の予定がそのまま大阪に一度も戻ることなく余生を沖縄で過ごしたそうだ。
大阪にそのままに残した自分の家の一切のモノはなにもいらないからもう処分していい、と言い放ったらしい。
そんな風に生きてみたい、とおばあさまの人生を羨ましく思った。
6年前に『役者やるから東京にきたで!』と身一つで突然大阪からきた晴子ちゃんも、
きっとおばあさまの血が確実に流れているのだろう。
透明感と、真っ直ぐなまなざし。
晴子ちゃんの新たな出発のポートレイト。
#10 Azumi
シンガー・ソングライター / DJ / Tuno by Azumi デザイナー
Q1
A
Q2
A
出会いは、師である野村さんが数々のwyolicaのジャケットを手掛けていたアシスタント時代。
アズミちゃんは色白でしっとりとしたビジュアルとは対照的な、とてもさばさばした、気持ち良いくらい大きく笑う、
そんな印象だった。
初めて撮影した時の写真が今でもとても大好きで、アズミちゃん自身も気に入ってくれていると知った時は嬉しかった。
昨年の個展に来てくれた時、ポートレイトを久しぶりに撮ろうね、と約束していたもののなかなかタイミングが合わず、
やっと実現した10年振りの撮影。
ほんのわずかな時間の撮影と、仕事の現場ではではなかなかすることがない、おしゃべり。
特別なことは何もしていないけれど、自分の大切にしている何かを思い出す瞬間がある。
過ぎ去った日々や温かい人たち。
人それぞれの経験と、喜怒哀楽。
それを乗り越えた分だけ、人の存在を強く、深くしてくれる。
少なくとも、私はそう思うし、信じている。
アズミちゃんにはとても強い直感と、人の心を溶かし、癒す不思議な力がある。
彼女の新しい歌が早く聴きたい。
包み込んでくれる、優しい声で。
子供の頃、何になりたかったですか?
漫画家。
左向きの顔とコマ割りが下手過ぎて挫折。
初めて書いた漫画は小4の時の『チョコレート戦争』
これから、かなえたい夢はありますか?
幸せのお手伝い、かな。
大切な時間や節目、なんてことはない朝や悔しかった午後。
そんな時に寄り添う歌を歌いたいし、毎日が少しでも色鮮やかになるお手伝いがしたいです。
音楽もアクセサリーのデザインもお芝居も、ぜんぶどこかの誰かの喜ぶ顔が見たいから。
恩着せがましく押し付けることはしたくないので、あくまでそっと背中を押せたら…と思います。
幸せにしてもらうより、幸せにする方が性に合うようです(笑)